クジラメン管理人のとっても私的なブログ、として始め現在では完全私物化、独立を達成した自由気ままなブログ
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本気になりたいと思った。
否、本気じゃないわけではないのに、いつも何回も、そう思ってしまう。
10月に芝居、来年の2月に芝居、で、
もしも12月あたりにもう一本、それもあんなところで、出来ることになったら、
僕もしかして死んでもいいくらい幸せなんじゃないかしら、と、思ったんです。
そうやって僕が、やりたいこと、選び出す自由、繋がる幸せ、
こんなにも冷静に、
ぐちゃぐちゃなのに冷静に、僕が僕を見る目が落ち着いているなんて。
ふと、大学に入る少し前の自分を思い出す。
あの時と似ている。
ふと、中学に入った頃の自分を思い出す。
あの時にも近い。
もしもこれが五年弱の周期で訪れるものだとしたら。
今はただビッグウェーブに乗っかって、還っていくように鎮まる波に呑まれるように、
或いは今は穏やかな水面に漂うこの身が、何れやって来る荒波に弾け飛んでしまうのか。
急に車内の乗客の顔までもが、何かと同じに思えてきて、
僕は遡る。
こんなにも幸せな日々にさえ、僕が僕を見出せないのは、
ずっと恵まれていたはずの僕が、
悲しみや寂しさや怒りや冒涜を知らぬまま、
嘆き、取り繕うことでしか僕を僕としてこなかったからだ。
だから遊ぶことすらもプレッシャーにしか感じられない。
1のことがずれている僕は、
2も3も、10も、100も、全部が狂っている。
だから考えることなど無駄だと、どこか自分を制していて、
それなのに時々「やりたいこと」を見つける自分が、
誇らしく、そして、無様だと思った。
僕は現在に戻って、涙が浮かんでいるのを確かめる。
「必死」という言葉が好きだ。
唐突に思う。
だって必ず死ぬんだよ?
毎回これが終わったら死のうと思うのは、
命を削っているという思い込みで、僕は僕を救いたいからだ。
そんなことは分かっている。
だけど、それでも今、出来る限りやってみようと前向きな自分を、
僕は僕としてここに迎え入れる。
その覚悟について、日曜の午後。
否、本気じゃないわけではないのに、いつも何回も、そう思ってしまう。
10月に芝居、来年の2月に芝居、で、
もしも12月あたりにもう一本、それもあんなところで、出来ることになったら、
僕もしかして死んでもいいくらい幸せなんじゃないかしら、と、思ったんです。
そうやって僕が、やりたいこと、選び出す自由、繋がる幸せ、
こんなにも冷静に、
ぐちゃぐちゃなのに冷静に、僕が僕を見る目が落ち着いているなんて。
ふと、大学に入る少し前の自分を思い出す。
あの時と似ている。
ふと、中学に入った頃の自分を思い出す。
あの時にも近い。
もしもこれが五年弱の周期で訪れるものだとしたら。
今はただビッグウェーブに乗っかって、還っていくように鎮まる波に呑まれるように、
或いは今は穏やかな水面に漂うこの身が、何れやって来る荒波に弾け飛んでしまうのか。
急に車内の乗客の顔までもが、何かと同じに思えてきて、
僕は遡る。
こんなにも幸せな日々にさえ、僕が僕を見出せないのは、
ずっと恵まれていたはずの僕が、
悲しみや寂しさや怒りや冒涜を知らぬまま、
嘆き、取り繕うことでしか僕を僕としてこなかったからだ。
だから遊ぶことすらもプレッシャーにしか感じられない。
1のことがずれている僕は、
2も3も、10も、100も、全部が狂っている。
だから考えることなど無駄だと、どこか自分を制していて、
それなのに時々「やりたいこと」を見つける自分が、
誇らしく、そして、無様だと思った。
僕は現在に戻って、涙が浮かんでいるのを確かめる。
「必死」という言葉が好きだ。
唐突に思う。
だって必ず死ぬんだよ?
毎回これが終わったら死のうと思うのは、
命を削っているという思い込みで、僕は僕を救いたいからだ。
そんなことは分かっている。
だけど、それでも今、出来る限りやってみようと前向きな自分を、
僕は僕としてここに迎え入れる。
その覚悟について、日曜の午後。
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